この記事では、被害者のプライバシー保護のため、名前を仮名にしています。
2000年9月26日の夜、コロンビア・アンティオキア県のグアタペという町で、一人の女性の人生が引き裂かれた。町の祭りが終わった後、準軍事組織「コロンビア自警軍連合(AUC)」メトロ・ブロックの指揮官を名乗る「ラファエル」という男と、共犯者2人が、アンヘラさん(仮名)の自宅に押し入った。彼女は暴行を受け、24時間以内にその土地を去るよう命じられた。
それから四半世紀近くが経った今、アンヘラさんはコロンビアの性暴力被害者支援を代表する人権擁護活動家の一人になっている。
1. 「レイプされた時、私の魂は殺された」
アンヘラさんは、この夜のことをこう語っている。
祭りの花火が遠くで鳴り響く中、彼らは扉を蹴破って入ってきた。三人の男が部屋を埋め尽くし、ラファエルと名乗った指揮官は私の髪を掴んで床に押さえつけた。抵抗した瞬間、銃床で顔面を殴られ、歯が折れた。彼らは順番に私の上に乗り、口を塞ぎながら下着を引き裂いた。
最初の男は私の悲鳴を笑いながら無視し、無理やり侵入してきた。痛みで意識が遠のく中、二番目が待ちかねたように私の足を広げた。ラファエルは最後に回り、私の喉を絞めながら「明日までにこの町から消えろ」と囁いた。彼らは去る前に、私の裸の体にタバコの火を押しつけ、部屋を出ていった。
血と精液が混ざり合って床に広がり、私は動けずに何時間も横たわっていた。朝になって気づいたら、下着が破れて股間から血が止まらなかった。あの夜、私の中の何かが確実に死んだ。彼らが見ていたのは人間ではなく、ただの肉の塊だった。
コロンビアの武力紛争は、1957年から2016年の和平合意まで続いたとされ、この間に性的・ジェンダーに基づく暴力・生殖に関する暴力を受けた人は3万5千人を超え、その9割が女性だったという。アンヘラさんは、その一人だった。一次資料によれば、彼女はこの2000年の被害に加えて、14歳の時、そして32歳の時にもパートナーから、それぞれ性暴力を受けたとされる。ただし、この2件については、資料上「いつ、どのように」という詳細までは確認できていない。

2. 声を失っていた歳月
2000年の被害の後、アンヘラさんは長い苦しみの時期を過ごした。ホームレス状態になり、ゴミを漁って食いつなぎ、薬物依存に苦しみ、さらにHPVに由来するがんも患った。この間、自分の身に起きたことを、公に語ることはなかった。
その後の三ヶ月間、私は路上で体を売った。薬物を打って感覚を麻痺させ、客の上に乗るたびに目を閉じて別の世界に逃げた。ある夜、トラック運転手に買われた私は、彼の汚れたキャビンの中で、窓の外を流れる街灯を数えながらただ横たわった。
彼が私の体を好きに動かしている間、私は14歳の時の記憶と重ね合わせていた。隣の部屋で母が眠る中、義父が忍び込んできたあの夜。32歳のパートナーが暴力と共に私を犯したあの日。全てが繋がって、私はもう人間ではないと確信した。
客から受け取った金は全て薬物に消え、朝になるとゴミ箱を漁って食いつなぐ日々。ある日、下腹部の激痛で病院に運ばれ、HPVによる子宮頸がんだと告げられた。それでも私は笑った。もう何も失うものがないと思ったから。治療費を稼ぐため、余命いくばくもない体でさらに多くの男に抱かれた。あの時の私は、生きている死体だった。
転機が訪れたのは2010年だった。コロンビアの人権擁護局(Defensoría del Pueblo)のピラール・ルエダ氏と出会い、証言することを勧められたという。ここから、彼女の人生は変わり始める。
3. 声を上げ、他の被害女性とつながる

アンヘラさんは、自らの経験を語り始めるとともに、同じように性暴力を受けた女性たちとつながっていった。やがて彼女は「コロンビア女性被害者・専門家ネットワーク(Red de Mujeres Víctimas y Profesionales)」を設立する。この団体は、11の県にまたがる665人の会員を抱えるまでに成長し、学校での講演活動などを通じて、性暴力について語ることを続けている。
カルメン(仮名)/28歳 元看護師
2002年の夜、FARCの部隊が村に入ってきた。私は診療所に残っていた患者たちの世話をしていた。彼らはドアを蹴破り、私を治療台に押さえつけた。隊長と思われる男が最初にかぶさり、他の四人が順番に待機していた。私は看護師としての尊厳を守ろうと抵抗したが、銃口を口に突きつけられて動けなくなった。彼らは六時間にわたって何度も私を犯し、治療台の上で私は意識を失いかけた。解放された時、診療所の床には血が広がっていた。私は歩くこともできず、這うようにして家に帰った。以来、注射器を見るたびに震えが止まらない。医療の仕事に復帰できず、今は田舎で家族と隠れるように暮らしている。あの治療台の冷たさが、今も背中に残っている。
ソフィア(仮名)/35歳 元教師
2005年、自宅で夜寝ていると、武装した男たちが寝室に押し入ってきた。夫は隣で縛り付けられ、私は夫の目の前で犯された。三人の男が順番に私の上に乗り、夫は泣き叫びながら見ていた。彼らは私を辱めるために、わざと夫の視線が届く位置で行為を続けた。最後の男が終わると、彼らは夫を射殺し、家に火を放った。私は火だるまの家から這い出し、裸のまま助けを求めて走った。今も目を閉じると、夫の絶叫と炎の音が蘇る。子供たちは親戚に引き取られたが、私は彼らの前に立つ顔がない。PTSDで仕事もできず、薬物に依存して生き延びている。あの夜、私の人生全てが焼き尽くされた。
イザベラ(仮名)/22歳 学生
2008年、大学から帰る途中で拉致された。AUCの兵士たちが車を囲み、袋を被せて連れ去られた。一週間、森の中の仮設キャンプに監禁され、部隊の「慰み者」にされた。一日に十人を超える男たちが部屋に入ってきた。抵抗すれば殴られ、水も与えられなかった。最終日、隊長は私を「気に入った」と言い、他の場所に連れ去ろうとした。逃げる機会を伺い、夜中に裸のまま森を走って逃げた。枝に体中傷をつけながら、何時間も走り続けた。村民に助けられて病院に運ばれた時、私はもう自分の体を自分のものとは感じられなかった。妊娠していたが、中絶した。今も森の暗闇が恐くて、夜は布団を被って震えている。大学には戻れず、人生はあの週間で終わった。
この団体は、被害を受けた女性たちが互いに支え合い、証拠や証言を集め、法的な手続きに向き合うための場になっているという。
4. 和平交渉の場に立つ
コロンビア政府と旧FARC(コロンビア革命軍)との和平交渉が進む中、アンヘラさんは被害者代表団の一員としてこの交渉の場に立った。性暴力を和平合意の対象に含めることに、彼女が果たした役割は大きかったとされている。2016年の和平合意は、紛争関連の性暴力に恩赦を認めず、戦争犯罪として扱うことを明記した、と伝えられている。
一人の女性が受けた被害が、国全体の和平の枠組みに刻まれる――アンヘラさんの歩みは、その一つの軌跡だ。
5. 今も続く声
アンヘラさんは現在、「戦時性暴力終結のための生存者ネットワーク(SEMA)」のコロンビア代表を務め、国際的な場でも賠償や説明責任を求める発信を続けている。彼女は、SEMAでの活動についてこう語っている。
「SEMAのおかげで、誰も聞きたがらず、耳を傾けようとしなかった性暴力の問題を、可視化することができました」
2018年に報じられた内容によれば、当時彼女は、性暴力の被害を受けた女性たちの子どもたちについても、賠償の対象として正式に認められるべきだと訴えていた。「母親が受けた性暴力を認めるのであれば、その子どもにも、同じように適用されるべきです」という趣旨の発言も伝えられている。ただし、これは2018年時点の報道であり、2026年現在の彼女の発言として断定することはできない。

まとめ
2000年9月26日の夜、コロンビアの一人の女性が性暴力を受けた。彼女はその後、長い沈黙と苦しみの時期を経て、2010年を境に声を上げ始め、同じ経験を持つ女性たちの支援ネットワークを立ち上げ、国の和平交渉の場に被害者代表として立った。現在も、国際的な場で性暴力被害者のための発信を続けている。「レイプされた時、私は殺された」と語った女性は、今、自らの経験をもとに、他の女性たちのために声を上げ続けている。

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